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ツタンカーメン王は、殺されたのではないという検査結果が出る!!
ツタンカーメン王のミイラにCTスキャン検査を行った結果、少年王は殺されたのではなく、19歳で亡くなる直前に脚のけがを負い、それがもとで死に至ったことが判明したとエジプトの最高の考古学者は語りました。3300歳の古代ツタンカーメン王のミイラは、1月5日に墓から移されました。ザヒ・ハワス古代遺跡最高委員会委員長は、ツタンカーメン王のミイラになされたCTスキャンの結果を、発掘の2ヵ月後に発表しました。(ビデオ:「ツタンカーメンは殺されていない」参照)
ハワス氏は、3300年前支配したツタンカーメン王の遺骸は、ファラオの死に長い間付きまとっていた秘密を追い払い、彼自身が殺されたという証拠を示さなかったと語りました。
ハワス氏事務所の発表した声明によると、「ツタンカーメン王が殺されたという学説に大して、チームは後頭部への打撃の証拠を見つけなかったし、他の衝突を示す徴候も無かった」「彼らは、又、王が自分の胸をつぶす事故に遇ったということは、極めてありそうも無いことであることを発見した」
ハワス氏はAP通信に対し、ツタンカーメン王が暴力により殺されたという学説を否定するが王が実際どのように死んだかは分からないと、語りました。
「私は二つの説を持っている―即ち、王が自然死したか、或いは毒殺されたかである。」
とハワス氏は語りました。さらに「我々は彼の器官が何らかの兆候を示していないか彼の内臓を見る予定だが、彼がどのように死んだかを証明するのは実質的に不可能だ」
二人のイタリア人、一人のスイス人を含むエジプト主導の調査チームの何人かのメンバーは王の左の大腿骨を、王が死ぬ直前に彼の足を相当悪く損傷した証拠として説明したと
ハワス氏は、語りました。
「損傷そのものは生命を脅かすほどのものではなかったが、病毒の混入があったのかもしれない」と声明は述べられました。「然しながら、チームのこのメンバーは、この骨の割れ目が防腐剤によるものだということは可能性としては薄いが、全く無いとはいえない」と述べています。
15分間のCTスキャンで王のミイラから撮られた1700あまりの像は、彼の王族の血統、彼の死去時の正確な年令、死の理由を含めて、彼の一生と死につきまとう、多くの秘密に答えることを目的としました。
「私は、これらの結果がツタンカーメン王の今回のケースを終幕させると信じる。そして王は再び検査される必要はないであろう」ハワス氏は言いました。「我々は今、彼に休息を与えるべきである。私はこの仕事が完全なるエジプトチームによりなされ、それも良くなされたことを誇りに思う」
1922年、南エジプトのルクソール市の伝説的な王家の谷で英国の考古学者ハワードカーターによって彼の墓が発見されて以来、ツタンカーメン王の短い一生は人々を魅了してきました。その発見は、古代エジプト王の宮廷の富と職人の技術を示す金や高価な宝石からなる非常に貴重な財宝の発見であることを示しました。
ハワス氏は長い間、ツタンカーメン王の遺骸をDNA鑑定することを拒否し、ミイラに対し組織に影響を及ぼさないCTスキャンをすることのみ合意しました。そしてそれは墓に戻されてから実施されました。CTスキャンの機械はドイツから持ってこられ、シーメンス社(Siemens)とナショナル・ジオグラフィック社(National Geographic)から寄贈されました。
エジプトの古代王族の一員への最初のCTスキャンであった調査は、ツタンカーメン王が小柄な体格で栄養状態は良く健康で、子供時代に大きな栄養失調あるいは伝染病にかかっていないことを示しました。
少年の王は、又、いくらか裂けた口蓋を持っていましたが、それは他の顔の欠陥には結びついていませんでした。彼は又、大きな門歯を持っており、彼の一族のほかの王に特徴的な典型的な出っ歯でありました。彼の下の歯列は、少々並びが悪かったようです。
初期の検査で確認された王の曲がった背骨や長くなった頭骸骨といった病理的原因も否定されました。彼の頭の形は正常であり、背骨は防腐剤による保存が彼の体を蝕んだ結果、曲がったものと考えられます。
又、ツタンカーメン王の血統は長い間謎でした。アメノホテプ4世の息子なのか、あるいは、異母(父)兄弟かなのかは定かではありません。尚、アメノホテプ4世はアメノホテプ3世の息子で革命的な一神論を古代エジプトに紹介した"異端の"王です。
ツタンカーメンは、古代エジプトの第18王朝の、第12代の支配者で約8歳で王座にのぼりB.C.1323年頃に死亡したと信じられています
